体癖(野口晴哉著)より
体の丈夫な状態とは寒暑風湿をものともせず、食べるに選ばず、なんでも旨く、働くに溌剌として疲れず、疲れて快く、眠って快く、守らず庇わず補わずとも、いつも元気で活き活き動作し、その患いも、何もせずに自ら経過して新鮮溌剌となり、雨も風も苦とせず、いつも軽快に行動し続けられることをいうのである。
良い生活が問われている。
私たちは、この良い生活に立ち返ることを求められている。
福音書では「世の終わりの訪れをオドロオドロしく」伝えている。
世の終わりの時に備えよと。
これを防ぐにはどうすれば良いか?
防げない時にはどうすれば良いか?
新約聖書が出来てから2千年の年月が流れた。
しかし、戦争の火種は尽きることはなく、常に西洋から起きている。
世紀末、悪魔崇拝がささやかれる。
「聖書」そのものが悪魔の作った物語であったとしたら???
世界は、キリスト教とイスラム教であふれている。
聖書が悪魔の作った物語であったとしたら、世界の人口の大半は悪魔に洗脳された人々ということになるが、、、、、、、。
我々もまた、悪魔に洗脳されていないかを確かめなければならない。
人は五臓六腑でできていることを知らなければならない。
いかにすればよいか?
祈りの時間を持つことであろう。
人は神を必要とし、神は人を必要としていることを知らなければならない。溌剌と働き、おいしく食べ、疲れて心地よく眠る。
簡単なことであるが、これは祈り無くしては実現できない。
良い生活は祈り無くしては実現できない。